お父様たちは、もう私たちがここまで来ていることに、気づいているだろうか。 お母様が無事かどうか心配で胸が痛いけどここは私の故郷であると同時に「敵地」のど真ん中。 焦って動いたら足元をすくわれてしまうかも知れない。 シェーラが切れ長の鋭い眼を細めてつぶやいた。 「敵に先手を打たれちゃいけないけど、こっちからは下手に動けない。とにかく今の状況を探ることね」
街のはずれに宿をとって、私、バルトラン、フリックさんで作戦会議。アナフッド、フールア、リーアさん、シェーラは敵情を知るために再び街へ出た。 「ひとまずは、お見せいただきたい。リナ様の、お力を」 バルトランさんがこう切り出した。 見せるったって。 「たとえば」 フリックさんは両手を頭上にかざし、魔法の言葉を唱えた。 なんだろう・・・黒い、闇の色をした球が、天にかざした両手の手のひらの上に現れた。 「これは私の攻撃魔法の中でも、最強のもののひとつです」 闇の球は、時々小さな雷のような電光を放っている。 「ファイヤボールやサンダーウェーブが爆発による攻撃魔法である一方、このブラックコメットは対象を貫通します。岩であれ、鋼であれ。どんな魔道士もこのブラックコメットが弾き返されるところを見たことがありません。レールモントの戦いにおいて剣士カルザスがプラチナドラゴンのウロコで作った楯を魔道士ミーリージャスクのブラックコメットに貫かれて絶命した一件が特に有名ですが、その他にも・・・」 バルトランが大きく咳払いをした。 「うんちくはよい。早くせんか」 「失礼。さて無礼ながらリナ様、・・・」 「サマはやめて」 「・・・リナ、このブラックコメットを君に向かって撃たせてもらう」 うそ。 「指輪の力が、リナのクロイス家の力が本物なら、このブラックコメットを弾き返すなり、受け止めるなりできるはずだ。というのも古い伝承によればこのブラックコメットがまともに防御された唯一の事例と言うのが、クロイス家七代目当主エニードが若い頃にエルフの森の入り口で・・・」 またバルトランさんの咳払い。 「火急の時だ。魔法対戦物語はまた後日、平和な時代のつれづれなるひと時にでもお聞かせすればよかろう」 バルトランさんは覚悟に燃える目で私を見つめた。 「リナ様・・・いや、リナ、本当に申し訳ない。もしもしくじって、リナが命を落とした時は、当然我々も責任をとる」 懐から短刀を出して、ひざの前に置いた。 ちょっとちょっと、何やってんの。やめてよ! 「あ、あの、バルトランさん?」 「リナがブラックコメットによって心の臓を貫かれた時にはこのバルトラン、しわ腹かき切ってお供いたします」 「私もすぐにおそばへ参る」 フリックさんまで! 「待ってよ、何あつくなってるのよ。私の力はお父様との最後の決戦の時にだけ使えばいいんでしょう?そんなブラックコメットだなんて、ほんとに当たったら大変じゃない、死んじゃうわよ」 「だからこそ」 フリックさんてば!早くもピッチングのモーションに入っている。 「リナも、本気で立ち向かって欲しい。クロイス家の力を見せるんだ」 「ああもう、そうじゃなくてね、私が言いたいのは・・・」 だめだ。フリックさん、聞く耳もたない。 ブラックコメットを浮かべた両手をぐっと後ろに引いて、 「参る!」 ほんとに撃つ気だ・・・。
「もう!」 私は跳びあがって、声を張り上げた。かよわい王女さまなのに! 「ちがうの!ストップ!」 パーン。 と、軽い破裂音がした。子どもがよく、紙袋に空気を入れて、たたいて割ったときのような音。 フリックさんとバルトランさんは、その場に呆然と凍りついた。 「ふう。わかった?」 私は腰に手を当てて、ため息をついた。 ブラックコメットは、フリックさんの手を離れる前に、破裂して消滅した。一瞬黒いチリのようなものと、電光の残りがきらめたけど、もう消えている。 「なんだかよく知らないけど、その程度の魔法では今の私にはかすり傷ひとつ負わせられない。納得できた?無駄な魔力は使わないこと」 ブラックコメットを消滅させたのは、もちろん私。『奇跡の花』をつけてから、こと魔法の力に関しては自信と力が満ち溢れている。 フリックさんは目を丸くし、口を開けたまま、まだ動けない。じっと、ブラックコメットがあるはずの両手の手のひらを見つめている。 「なんてことだ・・・ブラックコメットが・・・触りもしないで・・・」 バルトランさんはというと、あーあ、泣いてる。 「リナ!いや、王女リナ様!・・・感激です。苦労してここまで闘ってきた甲斐があった!」 はいはい。 とそこへ、アナフッドたち偵察隊が帰って来た。 「処刑だ!」 いきなりそのひと言。
「お帰り、アナフッド。何よ、いきなり処刑って」 「処刑だ!」 また。 フールア、リーアさん、シェーラもアナフッドの後ろにいるけど、顔色わるい。 「中央コロシアムで・・・公開処刑だ!くそ!クローディア・・・!」 「落ち着いて、アナフッド。何を見てきたの。誰の処刑よ」 私はアナフッド手をとって、アナフッドの顔をのぞきこんだ。汗びっしょりかいてる。 「王妃」 え? 「王妃マルグリット。リナの・・・」 「お母様が!?」 私は少しだけ、よろめいた。 我を取り戻したアナフッドが、慌てて私の両肩をつかみ、支えてくれる。 「行こう」 フールアの声。 「作戦とかなんとか言ってられなくなったわ」 低い、リーアさんの声。 「いよいよね」 つぶやいて、私は真っ先に宿を飛び出した。
馬が用意されていた。私は乗れない。アナフッドが手綱をとって、私はアナフッドの鞍の前に乗り馬の首にしっかりとつかまった。 「リナ、ひとつだけ言っておきたい」 走りながら、後ろのアナフッドが肩越しに話しかけてくる。 「なに」 「クローディアは、必ず殺せ。いいな」 その言葉は、私の胸に深く突き刺さった。 「いやよ」 はっきりと答える。 「お父様なのよ。アナフッドの言いたいことはわかる。でも私にはできない」 「できなければもっと多くの人がクローディアに殺される。お前が父親を殺しておけば、何百人、何千人の子どもたちが父親を失わないですむんだ。その時リナは本当の救世主になる」 「そんな理屈・・・。お父様とは、ちゃんと話し合う。わかってくれるわ」 アナフッドは低い声で、短く笑った。 「通用しないよ。おれも初めは少しだけ期待していた。リナがクローディアを殺さずに静めることを。けど、おれは見た。リナも見れば気持ちが変わる」 「見たって・・・?」 「王妃様をだ!クローディアめ、あの優しい王妃様をさんざん痛めつけ、ズタボロにしやがった!おれはさっき処刑場で、はりつけにされている王妃様を見たんだ。髪の毛は半ば抜け落ち、殴られて顔中が赤黒く膨れ上がった無残なお姿を・・・」 私は、顔から血の気が引いていくのが自分でわかった。 涙が、一気に溢れ出す。 「お母様が?お母様が・・・」 狂人のような、声を放っていた。 お母様! あの美しいお母様が・・・ アナフッドは片手を手綱から放して、私の体をぎゅっと引き寄せてくれた。腕が、私の左の脇から入って右の肩をつかみ、そのまま抱きしめている。 「さあ、リナ。闘うんだ。憎め。憎むんだ。クローディアを!」 泣きじゃくりながら、私はうなずいた。 殺す。必ず。私が殺す。 お父様を・・・
馬は処刑場に近づいた。 中央円形競技場。 入り口を固めていた警護の兵士たちは、バルトランとフールアに一瞬で蹴散らされた。 どこをどう進んでいいかわからず、とにかく馬を降りて競技場に駆け込んだ私たちは、客席の真ん中に出た。 このコロシアムが王妃の処刑をひと目見ようという民衆でいっぱいになっている。 三万人はいる。 どの顔も、喜びと興奮に輝いていた。 「殺せ!殺せ!」 「聖君主クローディア様を裏切った売女!」 「ちゃんと赤い血が出やがるのか?」 私は怒りに目がくらんだ。 「まずこいつらから皆殺しにするわ」 特大のファイアボールを作ろうと、片手を掲げる。 慌ててアナフッドが私を制した。 「おい、待て!いくらなんでもそれはまずい。バカどもが騒いでいるだけじゃないか」 お母様は? 競技場の真ん中に処刑台が築かれていた。 皮肉なのか豪華な装飾に彩られた四角い台の上に、一本の杭が立っている。 「あれが・・・お母様?」 薄汚い浮浪者のような、生きているのかどうかもよくわからない人間がひとり、杭に縛り付けられている。 周りを、長槍を持った兵士たちが二十人ほどで取り囲んでいる。 そのそばにもうひとつ、台があった。 こちらの台には、天蓋つきの座席が設けられている。 処刑台とちょうど向かい合うように設置されたその席で、侍女たちに酒をつがせ、優雅にグラスを傾けている人物。 お父様。 クローディア・クロイスだ。 憎むべき・・・相手。けど、私は懐かしさが胸の奥から熱くこみ上げてくるのをどうしようもなかった。 ずっと会えなかった。会いたかった、お父様。 けど、あの杭に磔にされているのは・・・お母様。 目の前の事実に、私の頭は混乱した。 「気づいてるみたいよ」 リーアさんが言った。 「ほら、こっちを見てる。クローディアが」 お父様・・・クローディアはゆっくりと立ち上がり、天蓋の外に出て、ざわめく3万人の民衆に告げた。 「愛しいわが国の民よ!」 両手を広げ、笑顔で呼びかけている。 「待ちかねたお客様が、ようやくおいでになったようだ。聖クロイス帝国建国にさきがけた本日の祝典に、欠かしてはならない大切な方々が」 クローディアは私たちの方に体を向けた。そして---。 「リナ!」 私の名を呼んだ! 「私の可愛いお姫様!さあここまでおいで。お母様もあそこにいらっしゃる。見えるだろう?」 クローディアは処刑台を取り囲む兵士達に号令をかけた。 一斉に、兵士達は槍の穂先をお母様に向けた。 「やめて!」 私は叫んでいた。 民衆の目が、すべて私に注がれる。 コロシアムは静まり返った。 クローディアは笑顔をたやさず、語りかけた。 「安心おし。まだ殺さないよ。さあおいで、リナ、ここまで降りてきなさい。愚かなお友だちの方々もいっしょにね」 どうしてだろう。 『奇跡の花』を手にしている今、魔力はお父様と互角。自信はあった。 けど、震えが止まらない。 足がすくんで、吐き気さえした。 「行こう。リナ」 アナフッドが、声をかけてくれた。 「決着をつけるんだ。おれたちもついてる」 みんなを振り返る。 誰も、怖気づいてなんていなかった。フリックさん、バルトランさん、シェーラ、リーアさん。フールアなんか、こんな状況なのにまたニコニコ笑ってる。 「面白くなってきた」 なんて言って。 私はお父様、クローディアに向かって叫んだ。 「今行くわ!お母様は殺させない。あなたには、私が引導をわたしてあげる!」 コロシアムがざわめいた。 「王女リナだと?」 「あいつも反逆者だったのか!」 「クローディア様に向かって、なんだあの態度は」 敵意に満ちた3万人の眼差しの中を、私たち七人は悠然と歩いた。 決着の時に向かって。
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